top of page

訪問連だよりvol.8 「聞いて大仏様」

日々の業務お疲れ様です! 連絡会がなんとなく! 雑談を! お届けします。

先日、8050問題に関する勉強会として 生きづらさ支援にたずさわる方からお話を伺ってきました。

(引きこもり当事者や8050問題に関わる支援をする時

「引きこもり」

という言葉を使わず

「生きづらさを感じている人」といった表現を用いることが多いそうです。

「引きこもり」という語には部外者が当事者を叩くニュアンスがあるから…とのことでした)

印象に残ったのは、日常のちょっとした気の重い用事を一緒に行うケースの 多いこと。

「一緒に行政の窓口に行こう」

「一緒にポストを開けて督促状の内容を見てみよう」

これらの軽い雑用ができない自分が不安で立ち止まり、

ますます事態に対応できずいよいよ生活に困窮して…という状況で やっと相談に結び付いた人々に対しては

「まず

『ここに相談に来るまでが本当につらく大変だったんですよね』

という気持ちでお迎えする」

というコメントが大変印象的でした。

相談に来た時点で

『家賃滞納で現在の自宅退去まであと〇日』

などとトラブルをこじらせにこじらせている方が多く、一般的には

「どうしてこんなになるまでほっといたの!」

と言われてしまう方々ですが、

だからこそはじめの一歩をくじかないように対応されているのでしょう。

さて。

テレビでも盛んに取り上げられている8050問題なのですが ちょっと話を脇道へ。

古代の有名人に「逆8050問題」の当事者がいたんです。

8050の逆。つまり親が部屋から出ない人。しかもこの状態が長期化している。

悩める子世代はみなさんもきっと知ってる超有名人。

奈良の大仏を建立した聖武天皇です。

『国内で天然痘の流行など凶事が多かったから大仏を建てた』

みたいな教科書の内容をみなさんぼんやり覚えています…?

そんな聖武天皇の母・藤原宮子は皇子を出産したものの病み、息子とも

会わない生活をつづけました。

なんらかの精神疾患で自室から出ないような暮らしをしていたようです。

病の細かい経過や療養生活に関する資料はなく、ただ

「病が癒えて息子と36年ぶりに対面した」

という記述があるだけです。

そのおよそ10年後70歳くらいで亡くなっています。

伝染病の流行や不穏な政治状況に加えて、家族がこの状態では

「聞いて助けて大仏さま」と建立しちゃう気持ちもわかるような…

〇聞いて大仏様(イメージ画像)

空白の36年。

ひきこもり状態でどんな療養上のケアを受けていたのでしょう。

皇子の母に督促状は来ないし、役所の窓口に行く用事もないだろうけど…

それでも一緒に何かしたり、彼女の話に耳を傾ける人がいたことをお祈りしたくなります…。

(ある地域では宮子が身分の低い美女で貴族の養子に入り、帝の妻の一人となった

という伝説があります。まあ、史実とは遠いようなのですが…

そのような身の上であれば皇子の母としての生活がストレスだったろうなぁと

伝説を信じる人々は考えたのではないでしょうか

宮子の帝の妻としての身分は「嬪」といって出身身分の高くないお妃さまの称号です)

…あー、8050も大変。逆8050も大変。

でも私たちは大仏建立の前にできることがある!

11/22(金)第2回定期連絡会 来てね…!

連絡会終了まで何度でも言いましてよこちらのフレーズ

8050も物取られ妄想も考えていきます!

というわけで今回はおわり! それでは皆さま今日の業務お気をつけて! 行ってらっしゃい!

最新記事
アーカイブ
タグから検索
まだタグはありません。
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page